高橋亀吉記念賞

佳作


辻田 昌弘 氏(三井不動産株式会社S&E総合研究所長)
「ソリューション・ドリブン・イノベーションのすすめ」

はじめに −「豊かさゆえの停滞」

 〇二年二月を起点とし、「いざなぎ景気」を超えて戦後最長となった景気拡大局面は、サブプライム問題や資源価格高騰等の要因により終焉を迎えつつある。今般の景気拡大は輸出・設備投資など主として企業部門が牽引しており、その反面GDPの約六割弱を占める個人消費は依然として力強さを欠いたままであった。「景気拡大の実感が湧かない」といわれた所以である。九七年の消費税率引き上げ以降、かれこれ十年以上にわたって消費の低迷が続いている勘定になる。 こうした個人消費低迷の原因としてしばしば指摘されるのが、所得の伸び悩みである。例えば国税庁の『民間給与実態統計調査』によれば、民間企業の給与所得者の平均給与は九八年以降減少傾向が続いている。所得が伸びなければ消費を手控えるだろうというのは説明としてはわかりやすい。

しかし、総務省『家計調査』によれば、消費支出に占める「選択的消費支出」(消費支出全体に対する支出弾力性が1以上の項目−生活必需的でない奢侈品等−への支出)の割合は五割弱に達している。選択的消費支出の割合が高いということは、それだけ消費の「調整可能性」が高まったということを意味するわけで、普段着はユニクロで買う一方で高級ブランド品を買ったり海外旅行に出かけたりといういわゆる「一人二極化消費」は、こうした「調整」の結果と見ることができる。つまり、たとえ所得の面で制約があったとしても、もしほんとうに欲しいと思うような魅力的な商品・サービスがあれば、消費者はそれこそ「選択的」にそうした商品に予算を振り向けることができるのである。

だとすると、消費の長期低迷の背景には、所得の伸び悩みという「需要サイド」の問題だけではなく、消費者がぜひとも買いたいと思うような魅力のある商品・サービスが供給されていないという「供給サイド」の問題もあるのではないだろうか。かつては自動車や家電製品といった商品を購入し所有することが「豊かさ」の証しであったが、消費の高度化・成熟化が進み、今日では基本的な商品やサービスは既にひととおり身の回りに揃ってしまっている。その意味では「豊かな暮らし」が実現されたとも言えるわけで、そのような一種の飽和感、満腹感を抱く消費者にさらなる消費を促すのは容易なことではない。

とはいえ、我々がケインズの言う「豊かさゆえの長期停滞」的な状況に陥ってしまったとみるのはやや早計に過ぎよう。確かに我々は今日さまざまな商品・サービスに取り囲まれて、基本的には快適な生活を送っている。しかし、現状がこれ以上誰もが望むべくもないほどに豊かであるというわけでもないだろう。その意味では現下の状況は「豊かさゆえの一時的停滞」というほうが正しいかもしれない。

問題は、消費者の明確な欲求(ニーズ)がとりあえず充足されてしまったその一方で、消費者の意識下にある潜在的な欲求(ウォンツ)を探り当て、掘り起こすことに企業の側が成功していない点にある。換言すれば、イノベーションが不足しているのだ。消費を経済のエンジンだとすれば、エンジンを駆動させるのがイノベーションである。この「豊かさゆえの停滞」を長期化させることなく脱却するために、いかにしてイノベーションを活性化させるか−これこそが日本企業にとっての「二一世紀特有の課題」なのだ。

我が国製造業におけるイノベーションの問題点

「技術革新」という訳があてられたためだろうか、我が国においては、イノベーションはともすると、「技術的イノベーション(technological innovation)」と捉えられがちである。もちろん工業国として発展を遂げてきた我が国においては、イノベーションと技術的イノベーションがほぼ同義と捉えられてもいたしかたないが、イノベーションの本来の意味はそのような狭義のものではないことは言うまでもない。 さて、『イノベーションのジレンマ』の著者クレイトン・クリステンセンは、「消費者は1/4インチ径のドリルを買いたいのではない。彼らが欲しいのは1/4インチの穴だ」というセオドア・レビットの有名な一節を引きながら、顧客は何らかの「用事(ジョブ)」を処理するために商品やサービスを「雇う」のだと述べている。顧客が何らかの「用事(ジョブ)」を処理することを今風に「ソリューション」という言葉に置き換えるなら、顧客が「雇う」ソリューションの提供手段それ自体は、顧客にとってさしたる重要性を持たないといえよう。顧客はドリルを買って自分で穴を開けるか、職人に依頼して穴を開けてもらうかを、状況に応じて選択すればよいだけのことだからである。

その意味で、ドリルという「製品」と職人が穴を開けるという「サービス」は相互に代替的である。しかし、職人が穴を開けるという「サービス」を提供するためにはドリルという「製品」が必要であると考えれば、「製品」と「サービス」は相互に補完的でもある。さらに言えば、腕の良い職人と精度の高いドリルという組み合わせが、より正確できれいな仕上がりの穴を提供できるとすれば、両者は相乗的な関係にあるとも言えよう。

翻って、我が国では近年「サービス・イノベーション」に関する議論が盛んになりつつある。しかし、そうした議論にかかわる論者の問題認識が、GDPや就業者数で日本経済の約七割を占めるサービスセクターの労働生産性が製造業に比して著しく低いという点からスタートしていることにはいささかの違和感を禁じ得ない。

先に述べたように、顧客へのソリューションに対して往々にして製品とサービスが相互に補完的、あるいは場合によっては相乗的な関係にあることを踏まえれば、製造業とサービス産業をことさら別物であるかのように扱う論の立て方に対しては、ともすれば議論を誤った方向に誘導するのではないかという危惧を抱かざるをえないからだ。

パソコン部門をレノボに売却する一方でプライスウォーターハウス・クーパーズのコンサルティングサービス部門を買収するなどソリューション・ビジネスへの事業シフトを進めるIBMや、音楽ダウンロードサイト”iTunes Store”との連動によって”iPod”を全世界で累計一億台売り上げたアップルなど見れば、もはや彼らの事業領域を「製造業」という言葉で括ることはできなくなっていることは明白だ。これに対して、日本の製造業企業の多くは、そのモノづくり能力への過信からだろうか、サービスを自社事業に積極的に取り込んでいるようには見受けられない。

IBMやアップルとの対比で言えば、日本の製造業企業はバリューチェーンにおける付加価値の源泉となる「スマイル・カーブ」の両端のうち、川上側の研究開発・コア部品製造(まさに技術的イノベーションの領域)には注力しているものの、もう一方の端である川下側の販売・サービスについてはおざなりな感が否めない。ここに日本の製造業企業のイノベーションの問題点があるのではないだろうか。

ソリューション・ドリブン・イノベーション

工業化時代のイノベーションとは、まず技術シーズありきでそれを市場ニーズにマッチングさせる(テクノロジー・プッシュ)か、まず市場ニーズありきでそれを技術シーズにマッチングさせる(マーケット・プル)かというアプローチの違いはあるにせよ、技術シーズで市場ニーズを満たすという点において、「テクノロジー・ドリブン・イノベーション」であったということができよう。

もちろん、技術シーズだけで顧客のニーズを満たせるのであればそれに越したことはない。より短時間で目的地に到達したいというのが顧客のニーズであれば、より速く走れる自動車を開発することがソリューションであり、それに向けた「技術的イノベーション」に注力すればよい。しかし、例えば故障しない自動車が欲しいという顧客のニーズに対して「技術的イノベーション」を突き詰めていっても、完璧に故障しない自動車を開発するのは相当に困難であろう。それよりはむしろ「二四時間どこへでもメカニックが急行するロードサービス」というようなサービスを提供することが顧客へのソリューションになるかもしれない。

その場合に必要となるリソースは、全国規模のロードサービス網というソフト・サービスであるし、技術の面でも故障を発見するセンサーやそれをサービスセンターに知らせる通信システムなど、故障しない自動車を「技術的イノベーション」で実現しようとする場合とは相当に異なるものになる。このように、顧客へのソリューション提供を起点にイノベーションを考えると、製品かサービスか、あるいはハードかソフトか、という区分けには意味がなくなるばかりか、目的に沿うかたちで両者は統合化・一体化されていく。このように、顧客へのソリューションを起点として、そのために必要なリソースを調達し組み合わせていく、いわば「ソリューション・ドリブン・イノベーション」こそが、脱工業化時代のイノベーションのあるべき姿なのではないだろうか。

この「ソリューション・ドリブン・イノベーション」の典型的な事例がアップルのiPodである。iPodはハード自体には格別画期的な技術が採用されているわけではない。構成部品の大半は汎用品であるし、製造は台湾の業者に委託されている。製品単体でみれば日本のエレクトロニクスメーカーなら造作もなく作れるようなものだろう。しかし、iPodの神髄は、iPod本体−iTunes(PC用ソフトウェア)−iTunes Store(音楽ダウンロードサイト)と、ハード・ソフト・サービスが一体となっている点にあることはいうまでもない。逆にいえばハードとしてのiPod本体は、顧客へのソリューションという視点で見ればその構成要素のひとつにしか過ぎないのだ。

iPodプロジェクトを統括したアップルのグレッグ・ジョズウィアックは次のように述べている。

「iPodは二一世紀のウォークマンだと思っている。ソニーが一九七九年に発明したウォークマンは、革命的なハードウェアで、人々の音楽の聴き方を変えた。でも現在では、ハードウェアだけじゃ足りない。ハードとソフト、そしてサービスが相互に作用して出来上がるのが、デジタル時代の体験なんだ。」

一方、アップルに携帯音楽プレーヤーのトップブランドの座を奪われた当のソニーでは、ハワード・ストリンガー会長が「最初にソフトを考え、それからハードを作る。順序を一八〇度変えよう」と社内に繰り返し呼びかけているという。

既に出揃っている処方箋

とはいえ、まだまだ多くの日本企業は「テクノロジー・ドリブン・イノベーション」の域から抜け出せていない。では「ソリューション・ドリブン・イノベーション」を起こすにはどうすればよいか。ここでは二点だけ指摘しておく。

第一点は、マーケティング機能とイノベーション機能の連携強化である。ドラッカーが「企業の目的は顧客の創造である。従って、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」と述べているように、顧客の抱えるニーズや問題を探索し(マーケティング)、そのソリューションとなる製品・サービスを創造する(イノベーション)ことによって顧客の満足を得ることこそがビジネスの基本である。

ところが、本来ならば企業活動の「車の両輪」として並列的に位置づけられるべきマーケティングとイノベーションというふたつの基本機能は、実際には、特に組織が巨大化すればするほど、研究開発部門−マーケティング部門という直列的な関係に陥りがちであり、下手をすると両者はしばしば対立的な関係になることさえある。

しかし、ソリューション・ドリブン・イノベーション、すなわち顧客を起点としたイノベーションを起こすためには、マーケティングとイノベーションという二大機能がその関係をより一層緊密強化し、相互に迅速な情報交換とフィードバックを行うことが求められる。ちなみに、iPodの開発はマーケティング担当者と技術担当者の二名からなるチームで当初スタートしたという。

第二点は、顧客ソリューションを起点としたリソースの調達である。前述の例でいえば自動車メーカーにとってのロードサービス機能のように、顧客にソリューションを提供するためには、従来自社で保有していなかったリソースを調達する必要が生じる場合がある。これについては自社内で開発する以外にもアウトソーシング、他社との提携、あるいは買収といった対応が考えられる。例えば、フォークリフトや自動車部品の製造を主力とする豊田自動織機は、近年流通系企業等への「物流ソリューション事業」を積極的に展開しているが、顧客企業の売上金の集計・集配に係る業務を強化するために、売上金管理大手のアサヒセキュリティを買収した。

近年、ヘンリー・チェスブロウが提唱する「オープン・イノベーション」というコンセプトが注目を集めているが、顧客の問題を解決するためには、自前主義に拘泥することなく積極的に社外に働き掛けていく必要があるということだ。

さて、ここに述べてきたようなことは既に九〇年代においてさまざまなかたちで指摘されてきたことばかりである。例えばハマー&チャンピーの『リエンジニアリング革命』では、顧客価値最大化の視点から組織や業務の進め方(ビジネスプロセス)を根本から組みなおす(リエンジニアリング)ことが提唱された。また野中・竹内の『知識創造企業』で「ハイパーテキスト型組織」の例として挙げられていたシャープの緊急プロジェクトチームや生活ソフトセンターのケースは、イノベーションとマーケティングの組織的連携そのものである。

これらの著作が出版されたのは九〇年代前半だが、この時期には上記二作以外にもドラッカーの『ポスト資本主義社会』やハメル&プラハラードの『コア・コンピタンス経営』など、優れた経営書がいくつも世に出た。この時期は日本ではバブル経済崩壊後の「失われた十年」であったが、世界的に見ればグローバル化と情報化が急速に進展するとともに、工業化社会から知識社会に移行する大変革期にあたり、これらの著作はそうした環境変化に対して企業がどのように自己変革すべきかを考察したものである。その意味で、基本的な処方箋は既にこの時期に出揃っているのだ。

おわりに

イノベーションにとって最も重要なテーマは「顧客が抱えている問題はなにか」ということを起点として考えることであるが、依然として多くの企業はイノベーションの範疇を狭義に捉え、技術起点−まず技術ありき−で考えようとしている。セオドア・レビットが約半世紀前の一九六〇年に『マーケティング近視眼』において「顧客ニーズを明らかにして、顧客を満足させるには何をいかに提供すべきか、と逆に進むべきである。」と既に指摘しているにもかかわらず、である。

一方、顧客のソリューションという視点でイノベーションを捉えるならば、製造業かサービス業かという区分は意味を持たなくなるのであるが、依然として多くの製造業企業が自社のドメインを「製造業」に自己規定し、そこから抜け出せていない。GEのジャック・ウェルチが自社を”A global service company that also sells high-quality products”と定義したのが一九九六年、IBMの有名な”IBM means service”に至っては一九四九年であるにもかかわらず、である。

ここまで対比を強調するために欧米企業の例ばかりを取り上げてきたが、もちろん日本にも変革を進めている企業はある。シャープの町田勝彦会長兼CEOは、「どうしてもメーカーというのは、新しい技術で何かをつくって売るという発想になるが、そういうビジネスモデルはいずれ限界が来るんじゃないか」という危機意識の下、同社の太陽光発電事業では「材料から製造装置、パネル、プラント、メンテナンス、実際の発電事業まで全部やる太陽光発電のトータルソリューション会社」を目指すという。古くは松下幸之助も「夜鳴き蕎麦屋の精神」という表現で顧客志向の重要性を説いていたではないか。

その意味で筆者が本稿において述べている内容に格別新しいものは何もない。繰り返すが、処方箋は既に出揃っている。問題はそれを実践できるかどうか、そのために自己変革できるかどうか、という意思の問題なのである。

参考文献

  • クレイトン・クリステンセン他『イノベーションの解』2003年翔泳社
  • ピーター・ドラッカー『マネジメント(エッセンシャル版)』2001年ダイヤモンド社
  • 佐伯啓思『成長経済の終焉』2003年ダイヤモンド社
  • 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』1996年東洋経済新報社
  • ハマー&チャンピー『リエンジニアリング革命』1993年日本経済新聞社
  • ピーター・ドラッカー『ポスト資本主義社会』1993年ダイヤモンド社
  • ハメル&プラハラード『コア・コンビタンス経営』1995年日本経済新聞社
  • ヘンリー・チェスブロウ『OPEN INNOVATION』2004年産業能率大学出版部
  • 「得する物流」日経ビジネス05年6月20号
  • 「天理工場建設以来のビジネスモデル転換だ」週刊東洋経済08年8月16-23日号
  • セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
    DIAMONDハーバードビジネス06年11月号
  • 「体験の源泉はソフト−新デジタルウォーズ(上)」
    07年1月24日付日本経済新聞朝刊
  • 「林檎の樹の根回し−iPodの開発(第一回)」日経エレクトロニクス04年5月24日号