高橋亀吉記念賞

優秀作

辻田昌弘 氏(21世紀政策研究所 研究主幹)
グローバル競争における地域イノベーション戦略の重要性

オープン・アーキテクチャー化と「世界の工場・中国」

 白モノ家電やAV機器、あるいは携帯電話機やパソコンといった情報通信機器など多くの分野で、今や世界生産シェアのトップを占める「世界の工場」中国。とはいえ1990年代前半までは、日本の20〜30分の1といわれる低廉な労働コストに引かれた日本や欧米の企業が、自社の生産拠点を中国に設けるという従来型の海外生産のパターンが主流であった。垂直統合モデルにおいて生産機能のみが移転するという垂直型の分業である。

 ところが、90年代後半からは、IT、エレクトロニクス分野におけるオープン・アーキテクチャー化の進展を背景に、バリューチェーンのアンバンドリング(脱・統合)を進める欧米企業を中心として、EMS(電子機器製造受託サービス)企業やOEM(相手先ブランドによる生産)あるいはODM(相手先ブランドによる設計・生産)企業など、自社と資本関係のない企業に生産を委託するという水平型の分業が進み、それら受託企業が中国に生産拠点を拡大するという新しいパターンが台頭してきた。

 つまり、バリューチェーンにおける「スマイル・カーブ」のボトム――比較的付加価値の低い加工・組み立ての部分――がEMS企業等に積極的にアウトソーシングされ、それを中国が一手に引き受けるという構図である。こうした水平分業は、単に中国の低廉な労働力を活用するだけでなく、そこにEMSの量産効果というレバレッジを利かせることで、さらなる低コストを実現する。

 日本のエレクトロニクス企業の多くは従来型の垂直統合モデルに固執するあまり、このオープン・アーキテクチャー化、水平分業化への対応において欧米企業に立ち遅れ、それが日本企業の国際競争力を低下させる一因となった。2000年代に入り、ようやく日本企業もEMS等への生産委託を増やし始め、同時に国内工場を閉鎖したり、あるいは自らがEMS化を目指すなど、水平分業化に対応した事業再編に取り組み始めた。

 また、中国は世界の工場であると同時に、巨大な消費市場でもある。WTO加盟に伴う市場開放も追い風となり、今後消費市場としての成長が期待されるが、これまで生産拠点としての側面を重視していた日本企業は、現地市場に合わせた商品開発・生産体制の整備、あるいは物流・販売網の構築といった面でも欧米企業に立ち遅れている。

 その意味では、日本企業の中国へのシフトは、むしろこれから本格化するものと考えられる。

国内製造業の空洞化は止まったか

 そうなると懸念されるのが国内製造業の一層の空洞化であるが、経済産業省の工場立地動向調査によれば、03年の国内工場立地は件数・面積ともに3年ぶりに対前年比で増加に転じており、空洞化の進行に一服感が見受けられる。
日本経済新聞が今夏に実施した「主要製造業調査」でも、今後3年間に国内生産を増やすと回答する企業が全体の約半数に達し、1割強の企業が国内新工場計画を有し、また海外から国内に生産拠点を移転させる企業も1割あるという(1)。01年の同じ調査では、約半数の企業が今後3年間に海外生産を増やす(うち7割が中国)と回答し、国内生産を削減する企業が2割強に上ったこと(2)に比べると、まさに様変わりである。

 しかし、一方で「海外生産を減らす」と回答した企業がゼロだったことを考え併せると、これは単純な「国内回帰」というよりはむしろ、国内景気の回復、あるいはリストラ・事業再編による企業の体質改善に負うところが大きいと見るべきであろう。

 また、国内の地価や人件費の下落に加え、地方自治体が企業誘致のために補助金や税の減免といった優遇措置をかなり手厚く実施するようになってきたこともあり、以前に比べると国内立地に割安感が出てきていることも見逃せない要因の一つである。

 いずれにせよ、国内では高難度・高付加価値の製品や部品を生産し、海外では低付加価値の汎用品を生産するという「すみ分け」を図る立地戦略が明確になりつつある。事実、シャープの亀山工場(液晶パネル)、松下電器産業の尼崎工場(プラズマパネル)、エルピーダメモリの東広島工場(DRAM)など、高付加価値部品・製品を扱う大規模な工場の新設が相次いでいる。

アルカイック・スマイル・カーブ

 こうした傾向を反映してか、ここ数年の「中国脅威論」とそれに伴うわが国製造業の先行き悲観論から、一転して「日本製造業の復活」「ものづくり大国日本の復権」といった力強い論調が目立つようになってきた。しかし、こうした楽観的な論調は、エレクトロニクス産業を中心に進行中のオープン・アーキテクチャー化という産業構造の変革に対する冷静な視座をともすれば見失わせることになりかねない。

 これら楽観論の依拠するところは「高難度・高付加価値の部品・製品は国内でなければ作れない」という認識のようだが、かつては日本のお家芸といわれた半導体や液晶パネルといった分野における現在の主力プレーヤーが韓国・台湾勢であることを思えば、さほど説得力のある論拠とは思えない。

 たとえば、中国の大学における科学・工学の学位取得者数はすでに日本のそれを大きく上回っている(3)。また、中国の技術水準に対する日本企業の評価は、現在のところは「日本より高い」と見る企業はゼロ、「日本と同等」と見る企業が17%であるが、5年後には6%の企業が「日本より高い」、48%の企業が「日本と同等」となると予想している(4)。「中国=低廉な労働力を活用したローテク製品の製造拠点」という見方が過去のものとなる日が思いのほか近いということを、当の日本企業自体が認識しているのである。

 また、半導体や液晶といった高付加価値製品であっても、そのノウハウは製造装置に体化されている部分が多く、製造装置を購入することでかなりの部分キャッチアップが可能である。

 一方、日本企業のリストラの結果、多くの有能な技術者が海外企業に流出しているという問題もある。こうしたいわば「意図せざる知財流出」も日本の技術力の優位性を縮小させることにつながっている。

 さらに、中国での生産とはいっても、その実質的な担い手であるEMS企業やODM企業は欧米系や台湾系、すなわち一定水準の技術力を有する企業であるという点にも留意が必要だ。ODMとは読んで字のごとく、設計、デザインから製造までを一手に引き受けるという業態であり、日本企業でもたとえばローエンドの携帯電話機についてはODM企業に「丸投げ」しているというのが実情だ。EMS企業についても同様で、加工・組み立てのみならず設計・デザインといった川上領域までを含めた受託をセールスポイントにする企業も増えつつある。

 かつて欧米企業が中心だった市場に、日本企業がローエンドの製品から参入し、その後徐々に市場を席巻していったという歴史を振り返るならば、「中国にハイエンドな製品を作る能力はない」とたかをくくってはいられないはずだ。

 このように、技術移転の速度が加速している状況、換言すれば技術のコモディティ化の期間が短くなりつつある状況においては、技術競争とコスト競争が同時に生じることになる。いわばスマイル・カーブのボトム(低付加価値の部分)が広がって、川上と川下だけがきゅっと吊り上がった、アルカイック・スマイル(古典的な微笑)のような形へと変化しつつあるといってよいだろう。

ナショナル・イノベーション・システムの必要性

 このような、技術競争とコスト競争といういわば二正面作戦を戦うために、考えられる方策は二つある。一つは、徹底的な技術のブラックボックス化を通じてキャッチアップを阻止することだ。たとえば、シャープは亀山工場において特に重要な製造装置は自社で内製しており(5)、キヤノンは金型メーカーを買収し、金型の内製比率を高めようとしている(6)。両社ともに、技術の基盤はヒトであるという基本理念に基づき終身雇用を堅持しているが、それには技術者の流出を防ぐという意図もある。

 もう一つの方策は、キャッチアップを上回るスピードで次の技術を開発していくこと、つまりアルカイック・スマイル・カーブのより川上寄りを狙うことである。現世代の技術をベースとした競争を行いながら、同時に次世代の技術開発で他社に先行していくための戦略が、技術のコモディティ化が急速に進む時代には不可欠なのである。しかし、この点において少なからぬ日本企業が、「選択と集中」の名の下に、事業のみならず研究開発、特に次世代技術の研究分野において領域の絞り込みを行うという誤りを犯した。研究開発、特に次世代技術のような不確実性の高い分野においては、ある程度幅広にベット(賭け金を張る)しておくべきであり、やみくもに「選択と集中」をすればよいというものではない。

 とはいえ、収益性に左右される民間企業のみに、次世代技術に関する研究開発を担わせるのは酷な部分もある。企業のみならず大学等の研究機関や政府が一体となって、国家的な見地からこれに取り組む必要があるだろう。わが国においても「ナショナル・イノベーション・システム(NIS)」という発想が求められているのである。

産学官連携の「場」としてのクラスター

 NISの基本は「産学官連携」であるが、産学官連携が実際に行われるのは地域という「場」である。そこで近年「クラスター」という概念が注目されている。マイケル・ポーターによれば、クラスターとは「特定の分野において相互に関連のある企業・機関が地理的に集中している状態」である。クラスターには特定の産業分野に関連する種々の企業や大学など研究機関、あるいは職業訓練施設などが地理的に集中して立地しており、濃密なコミュニケーションを通じてあるときは相互に補完・連携し、またあるときは競争するという「集積のメカニズム」を通じて、地域としての競争優位が形成されるという(7)。

 クラスターの典型例として、ポーターはシリコンバレーやハリウッド、あるいはカリフォルニアワインやイタリアの皮革ファッションのクラスターなどを挙げているが、わが国においても、いくつかの地域でこうしたクラスターの形成に向けた動きが見られる。
たとえば、山形県米沢市は次世代の平面ディスプレー技術として期待の大きい「有機EL」のクラスターとして注目されている。米沢市はもともといくつかの大手の電機・機械メーカーの工場とその下請け・協力工場が厚みのある集積を形成しており、人口9万人強の小都市にもかかわらず電機・機械産業の出荷額では東北一という工業都市である。しかし、電機・機械中心ということは同時に空洞化の影響をまともに受けるということでもある。そこで地域産業の将来に強い危機感を抱く企業や自治体が目をつけたのが有機ELである。

 山形大学工学部には有機EL研究の第一人者である城戸淳二教授が在籍しており、一方で、世界初の有機ELの量産化に成功した東北パイオニアの米沢工場があるということから、域内に集積する企業の豊富なノウハウを生かして有機ELの共同研究を進め、米沢を有機ELの一大拠点にしようという「山形有機エレクトロニクスバレー構想」に、産学官を挙げて取り組んでいる。山形県はその中核となる「有機エレクトロニクス研究所」を市内に立ち上げ、周辺技術・応用技術の共同研究に取り組んでいる(8)。

 また、福岡県北九州市では、環境・リサイクル技術を中心としたクラスターの形成が進んでいる。同市では、官営八幡製鉄所以来の「ものづくりの街」として蓄積されてきた産業資源と公害克服の経験を生かし、「北九州市エコタウン事業」として環境産業の振興に取り組んでいる。そのために早稲田大、九州工業大、北九州市立大、福岡大等の工学系の学部、大学院、研究施設を「北九州学術研究都市」に誘致するとともに、実証実験支援・インキュベートのための「実証研究エリア」と、環境産業の事業化エリアとしての「総合環境コンビナート」「響リサイクル団地」を整備している。人材教育、基礎研究から実証実験、ベンチャー育成、そして事業化に至るまで、環境ビジネスの総合的展開をワンストップで実現できる環境が出来上がりつつあり、すでに域内に立地する環境関連の企業や研究機関の実証実験施設の数は13、リサイクル事業化施設の数は15に上っている。

 こうした地域レベルでの自発的な産学官連携の形成の背景には、大企業の製造拠点の海外移転や系列の崩壊が進む中で、地域の企業がヨコ方向の連携に活路を見いださざるをえないという事情に加え、国立大学の独立行政法人化に伴い、大学も地域との連携を模索する必要が生じていることがある。それは裏を返せば、企業・大学ともに従来の垂直的な力関係が弱まったことで、水平的なネットワーク、すなわちクラスター形成の可能性が高まったということでもある。

地域イノベーション戦略にも当てはまる「補完性の原則」

 一方、中央省庁もこのクラスターという概念に着目しているようで、01年には経済産業省が「産業クラスター計画」を、02年には文部科学省が「知的クラスター創生事業」を、それぞれ開始している。両計画の指定地域を見ると、産業クラスター19カ所、知的クラスター18カ所と全国各地に広がっている。しかし、ポーターが「政府はクラスターの選別を行うべきではない」と言明しているように、そもそもクラスターというものは、半ば自然発生的に生まれ、自律的に形成されていくものであり、「国がクラスターを指定する」という行為自体が論理矛盾をはらんでいる。こうした地域指定型の、テクノポリス構想以来の伝統的な産業政策のスタイルは、研究開発、新事業創造といった知識創造分野にはそもそもなじまないのではないか。

 クラスターの形成に当たって官ができることは、クラスターの自律的な形成プロセスを側面から支援することであり、その支援も、より現場に近く地域の実情に通じた地方自治体の自主性にゆだねられるべきである。要は「民にできることは民に、地域にできることは地域にゆだねる」という「補完性の原則」は、イノベーションの領域においても当てはまるということである。

 補完性の原則に従うならば、中央省庁の仕事は、たとえばクラスターの自律的形成を阻害するような規制の緩和など、「地方自治体ではできないこと」ということになる。この点で、地方自治体からの自発的提案に基づいて地域限定で規制を緩和する構造改革特区制度の現状が象徴的だ。前述の山形県や北九州市などは、この制度をうまく活用することによってクラスターの形成支援に資する種々の規制緩和措置を地域に導入しているが、具体的な規制緩和の提案は地方自治体の側から発案されているのであって、中央省庁発ではない。今や現場により近い地方自治体が政策立案のイニシアティブをとりつつあるのだ。

 中央省庁のなすべきことは、こうした地域からの自発的な提案を尊重して、彼らが動きやすいようにサポートすることである。企業においては「エンパワーメント(現場への権限委譲)」が重要な経営課題となっているが、国と地方の関係においても同様なのである。

おわりに―「アジアの時代」は「地方の時代」

 バックミンスター・フラーの“Think global, act local”という有名な言葉があるが、アジアの時代・グローバルな時代だからこそ、「地域」という「場」の果たす役割が一層重要になる。わが国は長らく中央集権的な行政システムの時代が続き、また企業システムも大企業を頂点とする垂直統合型であったために、これまでは「地域」という概念自体が希薄であった。しかし、企業システムにおいては、グローバル化・情報化の進展により系列が崩壊しつつある中で、クラスターという地域内での水平的連携への萌芽が芽生えつつある。中央集権的な行政システムのほうはまだかろうじて持ちこたえているようだが、構造改革特区制度に象徴されるように、中央省庁が政策立案機能を担い、地方自治体はそれに追従するという従来のパターナリズム(家父長主義)はまさに足元から瓦解し始めている。

 昨今地方分権の議論がかまびすしいものの、その中身はもっぱら財源の議論に終始していて一向に進展を見せないのは困ったことである。これまで述べてきたような地域密着型のイノベーション戦略、産業戦略を推進していくためには、地方分権を進めて地域の自主性を高めなければならない。韓国・台湾勢のみならず、中国を含めたアジア諸国が技術力の点でわが国に伍するようになるのは、そう遠い先の話ではない。わが国が今後も「科学技術創造立国」であり続けるために、地域へのエンパワーメントは急務なのである。

参考文献等

(1)「製造業の半数、国内生産拡大」2004年8月19日付日本経済新聞朝刊
(2)「2社に1社が3年内に工場海外移転」2001年8月9日付日本経済新聞朝刊
(3)舛山誠一「中国経済の台頭、東アジア地域統合の進展と内外企業の中国戦略」知的資産創造2004年5月号
(4)経済産業省「平成13年度製造基盤白書」
(5)「技術漏えい徹底防止ー重要設備は自社製造」2003年12月22日付日経産業新聞
(6)「キヤノン、金型買収の深謀」2004年1月1日付日経産業新聞
(7)マイケル・E・ポーター「クラスターが生むグローバル時代の競争優位」DIAMONDハーバード・ビジネス1999年3月号
(8)日本政策投資銀行東北支店「米沢電気機械クラスターの現状と有機エレクトロニクスバレーの可能性」2003年12月