高橋亀吉記念賞

佳作

三浦 瑠麗 (法学博士、東京大学大学院法学政治学研究科 
 ポスト・ドクトラル・フェロー)

「長期的視野に立った成長戦略―ワーキングマザー倍増計画」

1.はじめに ― 政府は経済成長のために何ができるか

 瞬く間に広がった金融危機は不況を生みだし、失われた20年を経てきた日本もその渦中にある。深刻な危機を抱える今こそ、長期的な視野に立った、かつドラスティックな変革が求められている。

 菅政権は強い経済、強い財政、強い社会保障を目指すと宣言したが、少子高齢化社会を前提にすれば、強い経済なしに強い社会保障が実現しえないことは明らかだ。また、強い経済なくして財政規律を守ることは難しい。したがって、本質的に強い経済をどうやって実現するかということが最大の課題である。ところが、民主党政権が6月に発表した「新成長戦略」の中身を見れば、各官庁のアジェンダがそれぞれ重要な問題ではあるにせよホチキス止めして出された感は否めず、成長のために何に投資すべきか、重点目標を見失っている。政治主導といいつつもドラスティックな変革に舵をきることができない不決断、そして八方美人戦略を志向していることにその原因がある。例えば、財政を圧迫せず経済効果が絶大な規制緩和に関しては、改造内閣においても慎重な立場を崩していない。

 政府が経済成長のために何ができるのかを考えるにあたっては、まず政府ができることは限られているという事実を直視しなければならない。政府が陥りがちな二つの危険は、短期的な効果しかない痛み止めの施策を優先して本質的な施策を先送りすることと、様々な問題を官僚機構による統制を通じて解決しようという発想に囚われることである。前者は財政破綻と経済の弱体化を招くし、また後者のような発想に囚われれば、規制に規制を重ね、民間の効率性や業績向上努力も中途半端で、官僚機構の持つ公益・中立性についても中途半端な団体を生みだし、利権が温存・再生産されることになりかねない。政府に求められていることの大半は、適切なインセンティヴを付与し、不健全な構造を是正する仕組みづくりなのである。

 では政府の限界を踏まえ、成長はどのようにすれば達成されるのだろうか。日本には目立った資源もなければ、人口に比して産業利用可能な土地も少ない。してみれば、日本にとっては人が最大の資源であるということができるだろう。現に、人口増による労働力の向上が高度成長期を支えていたのである。日本の生産年齢人口の推移統計によれば、生産年齢人口は1995年の約8700万人をピークとしてすでに減少期に入っており、予測値では2050年頃に高度経済成長が始まる前の1950年の水準に戻ることになり、2100年には約2400万人へと縮小する【1】これを放置すれば、高齢化社会を支えるべき経済が今後劇的に縮小することは自明だ。15歳以上の日本女性の労働力率が主要国中15位に止まっており(表1参照)、また女性の仕事も非正規雇用の割合が男性の18.4%に比べ53.3%と高く、非熟練労働が多いことは、日本の長期的な成長を阻む要因となる[2] 。

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図1

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図2

 それでも、15歳以上の女性の労働力率を比較するだけでは日本の立ち遅れはそこまで明確にならない。そこで、年齢別の表2における日本と各国との差を見てみよう。日本は高学歴ゆえに15歳から19歳の労働力率が低い。その点で、発展途上国のペルーや、表1で二位を占めるタイの女性の労働力率と比較するのは妥当とはいえない。ところが大卒や院卒の年齢に達しても、日本の女性の労働力率はそこまで増加しない。高学歴女性の子育て年齢に当たると考えられる30歳代では、日本は出生率の高いフランスに17〜20ポイントもの差をつけられている。日本では、本来質の高い労働力を提供するはずの高学歴女性のかなりの人数が就職せず、また結婚や子育てを機に家庭に入っているのである。表1の日本女性の労働力率を引き上げているのは、各国に比べ引退する年齢が遅いせいもある。

 私は、この国の最大の成長戦略は女性の労働力活用と少子化対策にあると考えている。女性の労働力はすぐにでも活躍を期待できる要素であり、少子化対策は成功しても20年ほどたたないと労働力に結びつかないが将来への多大な意義がある投資である。労働力をドラスティックに増やすことを考えれば、人口の半分を占める女性の労働力の活用は正にまったなしの改革であるといってよい。

 さらに女性の観点から少子化を見れば、子供を産まない原因の一部は、確実に社会や政策の遅れに求めることができる。少子化が問題視されると、とかく女性の社会進出と対立させて論じる向きが出てくるが、世界に女性が働きつつ子供を生んでいる国はいくつもある。もちろん、幸いにも個人の自由が重んじられている現代社会では戦前のように「産めよ殖やせよ」というわけにはいかない。だからこそ、大事なのは働く女性が子供を産み育てやすくする環境整備なのである。

 そこで、以下では労働力の向上を通じた経済成長と、規制緩和に基づく子育て支援分野の成長を提言し、個人を犠牲にすることなく社会を長期的な停滞から救う、日本の成長戦略を示すことにしたい。

2.現行の少子化対策はなぜ不十分なのか

 民主党の少子化対策の柱は、子供手当であった。子供手当に関する議論では、少子化対策だけでなく、女性の労働を含めた全体的視野で捉えようという姿勢が欠けている。

 まず、子供を生み育てる親の立場に立ってインセンティヴを考えてみたい。子供手当が目指した経済的なインセンティヴは、ある意味分かりやすい。お金を毎月少しでも支援すれば生みやすくなるだろうという考え方である。たとえ差し迫った財政規律の問題を脇に置いたとしても、この考え方には問題があるといわざるを得ない。確かに、平成16年の厚労省の「少子化に関する意識調査」研究では、本来産みたい人数の子供を産まないと答えている人のうち多くが経済的要因を挙げていることは確かである 。[3]だが、政府があらゆる家庭を高所得にすることは到底できない。同調査では、子供を持たない夫婦の個人主義的傾向を探るために様々なアンケートを試みているが、本質的に意味ある結論に辿りついているとは言い難い。[4] 

 同調査の分析ではあまり注目されていないが、むしろ取り上げるべきは、30代以降で産みたい人数の子供を産めない人々が挙げる多くの理由は、高年齢出産や不妊であり、経済的負担の他には心理的負担や体力、将来の日本に対する懸念、子育てに対する自信がないこと、自分の人生だけで大変だなどの要因が続いていることである。自分の自由な時間がほしいからと答えている人数は比較的少ない。心理的負担や体力の限界の意識は、子育てに対するコミットメントの強さを示している。

 この調査結果を分析するに、30代以降で子供を産んでいない多くの女性は、キャリア形成の過程で子供を産みたい環境に置かれていなかったことや晩婚化の結果として、これまで子供を産む機会に恵まれてこなかったことが見てとれる。また、子供を産むからには自分がしっかりコミットして育てなければならないという意識があるが、現状ではそれができないため不可能だと考えているのである。

 女性の立場からいって子供を産むのは肉体的にきつい大仕事であり、子育ての過程そのものが一人で取り組むとすれば24時間休みなし、経済的報酬ゼロ、機会費用高の重労働―子供の成長の喜びという形で報われることが多いとしても―である。仕事を持つキャリア・ウーマンにとっては、周囲の特別な支援なしに子供を持つことは多くの場合、彼女自身が元々持っていた人生の重要な目標や、昇進の可能性、収入などをある程度諦めざるを得ないことさえ意味する。実際に保育所には空きがなく、そこでさえ一般的な親の労働時間の保育をカバーできないし、病児・病後保育がなされていない。そもそも子供というのはしょっちゅう風邪をひいたり熱を出したりするが、もしそのたびに会社を休まざるを得なくなれば、親であるだけというだけで企業にとって第一線で働いてくれる人材とはなりがたい。核家族化の進行に伴い、祖父母などがかかりっきりで孫を育て、働いているその両親の家事の世話まで見ている場合は、親にとって非常に恵まれた事例だといってよい。これらの調査結果を、経済的要因と個人主義的傾向にのみ落とし込んで理解するのは間違っていると言わざるを得ない。要は、現状の支援が不足している日本において、不安なくしかも思い通りに子育てができる環境が想像できないから、女性は子供を産めないのではないか。

 とすれば、民主党政権は本当に必要な手当てをせずに、ただでも公的債務が累積している中でカネをばら撒いた、ないしばら撒く約束をしたに過ぎない。他からドラスティックに財源を持ってくるという民主党の一部で主張されている案は、単年度ならばともかく、今後継続するための政策としては非現実的と言わざるを得ない。経済効果から考えても、親に少額のお金をばら撒いてもそれが生活の日用品や貯蓄に回ることはほぼ確実であり、ましてや規制を緩和することなしに育児関連産業の活性化に繋がるわけがない。本当に子供が産みたくても産めない人々にとって障害となっているのは子育ての時間的・肉体的な補完と質的な支援、いうなれば子育てのお手伝いである。これまで行政が担ってきた、欠落した家庭に対する「保育」という考えは、子育てのお手伝いというには程遠い実情がある。こうした硬直した考え方をすっかり改める必要があるだろう。だが、何でも政府がやればよいのかというと、そこにも問題が潜んでいる。実際には、少子化対策の成功例としていつも引き合いに出されるフランスでは、公的保育の受け皿は日本より飛びぬけて充実しているわけではなく、ナニーや民間保育所の方が利用割合は多い 。[5]要は、日本における既得権益を守るための規制が問題なのである。すでに支給され始めている子供手当に関しては、バウチャー制度による現物支給への振替の主張など、もっともな意見も見られる 。[6]ウチャー制度を規制緩和と組み合わせれば、大半が貯蓄に回っている現在の手当を子育て産業の振興に回すことができ、女性が働くこともより容易になるだろう。

 次に、少子化対策と女性の労働力活用との関係について考えてみよう。民主党は、専業主婦もワーキングマザーと同様に保育所に預けられるようにすることを目指している。核家族化が進むなかで、母親ひとりの肩にのしかかっていた子育てを、一部社会が肩代わりするということは理解できるし、実際には待機児童の多くが現在失業中の母親や、再就職を目指す母親の子供であることも事実である。不況になって働かざるを得ない主婦が増えたことに、対症療法を図ったと考えられる。だがここで重要なのは、民主党の政策が真の問題=規制の結果としての保育所不足を解消しないままに女性間の保育所獲得競争を激化させる結果しか招いていないという点である。幼稚園の空きは比較的あるのになぜ幼保一体化にとりくまず、なぜ参入規制をもっと緩和しないのか。これらの改革にはほとんどお金がかからないにも拘らず、政府は厚生労働省による意味のない規制と管理から生まれる、不合理な高コスト構造を放置している 。[7]厚労省は、本年1月に高所得世帯に対する保育料の値上げの方針を打ち出したが、規制と高コスト構造を放置しながら累進性を高めたに過ぎない。さらに、民主党政権が今後の検討を表明している、保育所の受け皿を増やすための指定制度の導入も、財源の問題と二重制度による規制の温存の観点から不十分であると言わざるを得ない。

 そもそも家内労働は労働とみなさないという日本政府の伝統的な立場から、中産階級にとって雇用可能なナニー(乳母)や保育ママが普及していないことも、政治の場において全く取り上げられていない観点である。現在フランスで保育の約32%を占めているこれらのナニー(在宅)や保育ママ(預け型)は、日本ではあまり普及していない保育形態で、特にナニー=乳母は昔の慣習か最富裕層のごく珍しい制度として受け止められている。これが利用可能でない理由は、まずフィリピンなどの比較的安価で高品質のナニーや家政婦に対して就労ビザが発給されないこと、日本の家内労働市場が専業主婦の母親を前提とする社会通念上ごく限られており、また規制に守られていること、国や企業からのワーキングマザーへの子育て支援の項目に含まれていないことが挙げられるだろう。規制は一部の利権を守る立場から、社会通念は「結婚したら、または子供ができたら女性は家庭に入ること」を正常とする考え方からきている。

3. 少子高齢化問題と働く女性の問題に対する切り口を変えよう

 日本の働く女性がいかに子供を産みにくい環境にあるかは明らかだろう。全体主義国家ならばともかく、これに対する解が、女性の働く自由の束縛であってはならない。社会的な保守思想の中には、伝統や文化、日本人や種の存続という観点から、女性に対して少なくとも子育ての間は家庭に入るように呼び掛ける声も少なくなく、また女性の社会進出といえば華道や茶道といった「女性らしい」仕事しか挙げない政治家もいる。彼らの意見に従えば、女性の社会進出は労働力とはほとんど何の関係もないことになるだろうし、むしろ少子化を促進し、伝統を壊すものとして受け止められるだろう。だが、女性の労働と子供を対立させて捉えるから、結果としてこれまでの少子化対策はことごとく失敗してきたのである。

 文明史的な視点を持って考えてみようではないか。日本における女性の労働は20世紀初期の時点から、男女同権、民主化、目覚ましい経済成長がおきた今までの期間にいったいどれほど増えたのだろうか。人口統計資料によれば、1920年時点での女性の労働力割合は53.4%である。2008年の数字は、48.4%である。1920年から2008年までの間で、もっとも労働力割合が低かったのが、日本社会が豊かになり名実ともに先進工業国のトップレヴェルに躍り出た安定成長期における1975年、1980年の46%台であった。農業に商業に住込み奉公にとほとんどの女性が働いていた江戸時代を振り返るまでもなく、専業主婦とは豊かさの結果日本社会に生じるにいたった、いわば贅沢な現象であった。それは先進工業国全体に見られた現象で、「サラリーマン」が一気に増大し、同時に人が資源となる時代が訪れ、国が専業主婦をあらゆる方向から奨励し、戦後に各国が豊かになっていく過程でこの流れは加速した。だが、石油ショックの後に、男女同権運動も寄与して先進工業国で進んでいった女性の社会進出の流れに日本は乗り遅れてしまった。

 他方で、育児環境がここ数十年で激変したことにも目を向けなければならない。地域のつながりが希薄化し、また核家族化が定着したことによって、ひとりの女性の手に家事や育児の負担が集中する時代が訪れた。お受験が盛んになり、教育費は年々増大し、少子化は少しずつ、かつ着実に進んでいった。日本には、いわばここ数十年、産業化と中産階級の勃興に伴い特異な状況が出現したわけで、伝統を持ち出すのはおかしいことになる。

 これまでの女性の労働を軽視し、少子化対策と対立要因とみなす考え方の切り口を変えさえすれば、新しい発想が見えてくる。以下、本稿なりのアイディアをざっと示すことにしたい。

4 .「ワーキングマザー倍増計画」10の施策

(1)税制・年金・健康保険における逆インセンティヴの見直し
夫が配偶者特別控除を受けられ、妻が年金を払わなくて済むように、多くの女性がパートで働きつつ収入を抑えるようにしてきた結果、失われた労働力や税収を発掘すると共に、女性の社会進出に対する逆インセンティヴを取り除く 。[8]また、健康保険が適用されていない高度不妊治療を保険適用に組み込む。

(2)ワーキングマザー特別控除の導入
ワーキングマザー個人の収入に対し、子育ての支援を受ける際にかかった費用を、確定申告を通じて所得税から控除する制度を設ける。この制度により、既に働いている女性からの徴税額は下がるが、この制度によって新たに生み出された女性の労働による税収が増える。

(3)保育所に関する規制緩和
保育所に関して原則的に自由参入を認め価格統制をやめる。幼保一体化を進め、病児保育体制を導入する。保育所増設が進まない理由 には人手不足があるので、資格取得にかかる年数を短縮し、効率化すると共に、子育て経験者、外国人労働者の導入を容易にする。

(4)子供手当のバウチャー化
現状ではほとんどが子供のための貯金に回り、生活費や赤字補てんにも回っている子供手当をバウチャー化し、保育所や保育ママ、ナニーなどの育児に必要な費用や、教育費などに充てるようにする。

(5)家内労働規制の見直し
自宅での育児を望むが同居の祖父母がいないため家庭に入る母親が多いこと、職業ナニーの人数がごく少ないことを踏まえ、外国人ナニーに労働ビザを発給する。この制度は、フレキシブルな勤務形態をとるワーキングマザーや時間外労働を余儀なくされることも多い管理職や第一線で活躍する女性に需要が見込まれるだろう。

(6)地域寺子屋制度による学校の開放
地域によっては高学年の子供が学童保育に受け入れられていない現状、絆が失われつつあるとともに高齢化が進む地域の現状を踏まえ、高齢者の社会参画と子育ての社会化をマッチングさせる地域寺子屋制度を導入し、高齢者に費用弁済型ボランティアを募って子供の保教育を担当してもらい、そのために放課後の学校を開放させる。[9]

(7)非嫡出子への差別廃止
非嫡出子への差別は子供にとっていわれのない不当な差別であるから、即撤廃すべきである。差別を廃止したからといって、出生率が大幅に増えるとは考えにくいが、守られていない利益を守ることによって生みやすくなる人が少数だが出てくることもまた事実だろう。

(8)クォータ制10年の時限立法
あくまでも過渡的な措置だが、変化を後押しするためにドラスティックな介入が必要なこともある。女性の社会進出を後押しするために、10年後の2020年を目標に、公務員採用・弁護士と会計士、医者等の国家資格に関して40%の過渡的クォータ制を設ける。

(9)有給の育児休業を増やし、男性の取得目標を野心的に設定
2009年度の男性の育児休業取得は僅か1.72%である。本年6月から配偶者が育休中でも取得できるようになったことは望ましい。男女ともに有給の育休期間及び所得補償を改善し、分割取得を認める[10]。10年後の男性育休取得目標を30%とし、官公庁や企業に指導する。[11]

(10)子供に対する養育費報告義務と源泉徴収化・親権の再検討
離別した女性が子育てに苦しまないように、養育費を負担すべき片親に対し雇用先への養育費報告義務を課し、源泉徴収できるようにする。また同時に母子家庭や母親による養育というイメージを見直し、家裁での親権や養育権認定に関しては両性間の平等を目指す。

 以上の「ワーキングマザー倍増計画」の10施策を実施し、今後の日本の成長とともによりよい社会を生み出すことを提言する。(終)

脚注

  • [1]:鈴木亘『社会保障の「不都合な真実」―子育て・医療・年金を経済学で考える』日本経済新聞出版社、2010年、4頁参照。 (本文へ
  • [2]:『平成21年労働力調査年報』より。これは、子育てのために退職した女性が正規雇用されにくいこと、主婦業や母親業との両立のために非正規雇用形態を望む率が高いこと、また長い間就業しなかったことによって熟練労働力として機能しないことなどに起因していると考えられる。(本文へ)
  • [3]:20歳から31歳までの無子既婚女性で67.2%、32歳から49歳までの無子既婚女性で22.7%。(本文へ)
  • [4]:同調査では子供がいない32〜49歳代の既婚者の伝統的価値観の低さや政治社会問題に対する意識の高さに注目しているが、仮にデータの有意な違いがあるかどうかを脇においたとしても、この因果関係の推定は誤りである可能性が高い。比較対象は20〜31歳の子供がいない若年既婚者で、単に年齢を重ね社会経験を積んだことによる価値観の移り変わりと、子供がいないことによって政治社会問題に及ぶ幅広い関心を持ち続けた結果、そうした会話を行う時間的余裕や能力があることを表わしているに過ぎない可能性が高い。本来、このアンケートで比較すべきは同年代の子持ちの男女であった。こうした曖昧かつ誤解を招きかねない調査に基づき、政府の施策が定められている現状は憂慮すべきである。(本文へ)
  • [5]:中島前掲書、107-108頁参照。(本文へ)
  • [6]:鈴木前掲書、第2章参照。(本文へ)
  • [7]:公立保育所に預けられている乳児一人に、東京都23区では月額40万から50万円の費用がかかっているという(鈴木前掲書、36-37頁)。参議院の調査でこれまで女性の労働力活用と子供を産むことの両立が必要なことに着目したレポートがあるが、こうした高コストにもかかわらず、保育がもっと安く提供されるべきだとの考え方に基づいている。しかし、同レポートでは政府の規制には目を向けていない。参議院調査室作成資料「女性雇用をめぐる課題」『経済のプリズム』第20号、平成18年3月。(本文へ)
  • [8]:一部のフェミニズムからすれば、女性の家内労働の価値を認めることも大事かもしれないが、夫から給料をもらうという雇用関係にない以上、評価するといっても政府からの年金や税制上の保護を新たに付け加えていく、働く女性にとっては不当ともいえる政府の介入が増える恐れがある。民主党政権が配偶者特別控除の法案提出を先延ばしし、段々と廃止ができない方向に向かいつつあることは残念である。(本文へ)
  • [9]:豊津寺子屋のユニークかつ成功した取り組みを参考にした。(本文へ)
    http://anotherway.jp/tayori/kazetayori/vol69/index.htm 
  • 【10】法改正により、本年6月から配偶者の出産後8週間以内に一度、短期に育休を取得した人が、再度分割取得できるようになったが、ワーキングマザーの職場復帰に関するニーズや各家庭における子育ての形態は多様なはずなので、この8週間以内制限は設けなくてもよいはずである。(本文へ)
  • 【11】男性の育児休業取得を阻んでいる原因、日本特有のニーズについて、活か調査報告参照。松田茂樹「男性の育児休業取得はなぜ進まないか」第一生命経済研究所Life Design Report, 2006年、11-12月。(本文へ)
    http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/watching/wt0611a.pdf