高橋亀吉記念賞

佳作

茂木 創 氏(拓殖大学政経学部准教授)
「古為今用の経営理念が生み出す新たな日本企業の国際競争力」

 

1.21世紀特有の課題―技術力の国際競争力鈍化

 戦後我が国企業は、烏有に帰した産業基盤と資源制約の中で、加工貿易に活路を見出し、世界市場へと進出していった。変動相場制への移行、プラザ合意を経て、我が国企業は生産拠点を海外に移し、コストを低廉に抑えることで国際市場での競争力を維持してきた。今日、貿易、投資を通じた世界経済のとの相互依存関係は一層深化し、FTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)を通じて、国際労働移動を含む新たな国際経済体制が始まろうとしている。

こうした中、わが国企業の抱える様々な課題について、多くの指摘がなされている[1]。中でも、わが国企業の生産性、イノベーション(技術革新)に関して国際競争力が低下している点を指摘する意見が多い。

技術革新が経済成長に与える影響については、すでに白書をはじめ、様々な調査研究によって指摘されている。たとえば内閣府(2005)では、成長要因として、技術進歩を表す全要素生産性(TFP)が高かったことを指摘している[2]し、1980年代後半から提唱された内生的成長理論[3]では、企業のR&D(研究開発)や人口成長率、教育水準などが経済成長に大きな影響を与えることが明らかになってきている。それを受けて、企業の技術力支援政策も数多く打ち出されている。

しかし、様々な企業支援政策が必ずしも日本企業の国際競争力の改善に生かされているとは言い難い。本稿では、まず、「なぜわが国の技術力は低下してしまったのであろうか」という点について、企業経営の側から問題点を指摘する(第2節)。次に、わが国が今後も技術力や生産性について比較優位を持つために、どのような政策をとるべきか、その具体策を述べる(第3節)。また、今後予測されるアジアの「老い」に、わが国企業がどのように対応すべきか述べ(第4節)、政策提言をまとめる(第5節)。

2.短命化する企業寿命―失われた「奉職」意識

1999年10月、日経BP社は、時価総額をもとに会社の寿命を調査し、「企業寿命5年」という報告を行い、我が国企業に大きな衝撃を与えた[4]。その後、企業寿命についての研究が一つの流行になっている。最近では、新原(2003)は、優良企業の研究から企業寿命30年説の問題点を指摘し、加藤(2004)は計量的分析から企業寿命30年説の妥当性を主張している。こうした日本企業の「寿命」に関する研究が近年隆盛を極めている最大の理由は、バブル経済以降の企業再編成への危機意識である。

戦後、一部同業種・同族企業間において、国際競争力強化を目的とした合併はあったものの[5]、日本企業のM&Aは極めて限定的なものであった。しかし、1980年代に入ると、日本企業の海外企業買収件数が大幅に伸び、90年代以降は、国内企業間でもM&Aが急増している[6]。さらに、2007年のM&A件数は10年前(1997年)の3倍を超える水準となっている[7]。現時点で収益性が高く、将来成長が見込める企業においては、今度M&Aがさらに増加する可能性もある。

確かに、1990年代の商法や独占禁止法等における一連の規制緩和政策がM&A件数増加に拍車をかけたことは言うまでもない。しかし、ここ10年間のM&A件数の急速な増加が意味しているのは、ようやく我が国企業でも、本格的なグローバル化経済への対策が始まったという証左に他ならない。先に述べた企業寿命の研究に関心が集まる理由も、今現在、企業の統廃合が急速に進展していることと無関係ではない。

国家全体として考えると、企業の統廃合の進展は経済効率を改善するものである。というのも、生産性の高い分野の効率化を促し、比較劣位にある企業が淘汰されるからである。その一方で、雇用者の視点から考えると、必ずしもM&Aに賛同する声ばかりではない。

しかし、近代経済史を紐解けば明らかなように、M&Aは、戦後よりも戦前においてむしろ活発に行われてきた事実がある。時代背景が今日と異なるとはいえ、M&Aに対する労働者の拒否反応はむしろ少なかったといる。今日のM&Aと戦前のM&Aの違いは何であろうか。

少々言葉は厳しいが、結論からいえば、経営者への「奉職」意識が希薄になった、という点に尽きる。笹尾(2005)が指摘したように、わが国資本主義の勃興期から成長期にかけて起業した経営者は、一様に事業目的を社会貢献であるとし、本業を通じて社会貢献するという信念があった。かつて、日本の鉱山王と呼ばれた古河市兵衛は次のように述べている[8]

「鑛業は、山の中で坑夫や土方を相手とする仕事で、一向面白味のない、區域の狭い、じみな仕事の様であるけれども、凡そ鑛業を起こすには、丁度、新しい殖民地を拓く様に、深山の奥で、新しい町や村を建てるのであるから、衛生の爲めには病院も建てねばならず、教育の爲めには學校も起こさねばならず、慈善の爲めには救恤の法も設けねばならず、坑夫や職工の信仰心を勵ます爲めには寺も建てヽ遣らねばならず、山中の土民を樂しませようと云ふには、お祭り騒ぎもせねばならぬ。その外道路も拓く鐡道も敷く、場合によつては、自分で船も持たねばならず、山民全體に食物其他の入用品を供へて遣り、又は木を伐つたり、代りの木を植ゑたり、飲み水の心配やら、洪水の始末やら、火事や流行病のやうな非常の用意も、皆々備へて置かねばならず、もつときはどい事を云ふと、糞や小便の始末までも、みんな世話してやらねばならぬから、其規模は小さからうが、その位置は邊鄙であらうが、世の中の人間に必要なことは一切注意しなければならない。それ故に私に取つては仲々面白い仕事である。が、誰にでも容易に出來ると云ふものでは無い。」

これはまさに、CSR(企業の社会的責任)の発想である。しかもそれは、経営者自らの自発的な方針として述べている点で、今日のように、社会的、時代的要請から要請されたものと大きく異なる。戦前はこのような企業家が多く存在した[9]。一見、ワンマンで独善的、ともすれば独裁的な印象を与える戦前の企業家が、自らの利殖と同時に、雇用者の「生活」を考えていたことは特筆に値する事実である。戦前においては、雇用者の生活の一部は、間違いなく企業者の手にゆだねられていた。だからこそ、企業家は雇用者に雇用機会と生活水準の安寧を「保証」し、雇用者は「奉職」するという、ある種、近世の封建制度にも似た雇用関係が成立し、企業家と雇用者が一体となって企業を支えていたのである。

Abegglen(1958)が述べた、日本的経営―終身雇用、年功序列制の賃金構造が崩壊し、業種間の移動が比較的容易になった今日、企業家は、雇用者の生活の細部まで考えずに済むようになった。その結果、企業家と雇用者の関係は、賃金と労働のバーターだけの関係になった。必要な技術(ノウハウ)すら、M&Aによって手に入れることができるとなれば、熟練労働、生産技術が醸造されず、雇用者の「奉職」意識が低下しても当然である。

戦前の企業家が雇用者の敬意を集めることに成功した最大の要因は、企業家が雇用者の生活を保障してきたからに他ならない。雇用者の生活を無視したM&Aでは、グローバル化市場に対応できる、質の高い労働者を生み出すことはできない。

古為今用―古いものを今に生かして使うという言葉があるが、われわれが戦前日本の経営理念に学ぶものは多い。企業家が雇用者の生活の細部にも注視するような発想は欧米にはない経営理念である。高度経済成長期、こうした発想は欧米流の経営手法によって隅に追いやられた感がある。しかし、21世紀的な様々な問題を鑑みると、企業家は、もう一度、雇用者の生活母体としての生産活動を担っているという意識を持つべきである。日本の古き良き経営理念は、日本独自の発想であり、21世紀における日本の国際的な評価を高めることにつながるであろう。

3.雇用が技術革新を生む―再考すべき「労働」資源

今から80年ほど前、経済学者シュンペーターは、企業家を「新結合の遂行を自らの機能とし、その遂行にあたって能動的要素となるような経済主体」と定義した[10]。そして、新結合の遂行に勤しむ起業家の経済活動によって、生じた変化こそが経済発展(成長)と述べた。

確かに、シュンペーターから、内生的成長理論に至るまで、技術革新によって成長が促進されることに異論を挟む余地はない。しかしながら、図1下図に示したように、研究費の対GDP比は年々増加傾向にあるにもかかわらず、わが国企業の技術力に関する国際競争力は年々低下している。とりわけ、1997年以降、わが国企業は急速な生産性低下に直面している。もちろん、図1下図に示した順位は、相対的なものであるので、我が国企業の生産技術が絶対的に低下したというのは早計であろう。成長著しい新興国の相対的な生産性の高まりによって順位が低下している側面もある。しかし、図1上図からわかるように、生産性が著しく低下した1997年頃より、完全失業率は4%台から5%台で推移している。

加えて1990年代以降、終身雇用制が崩壊し、1997年以降、離職率(入社数に対する入社1年目の離職者の割合)が年々増加傾向にある。また、ここ数年は好景気による雇用改善からフリーター数[11]は減少しているが、長期的にみると15年で倍増している。とりわけ25〜34歳(団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代[12])のフリーター数の増加は著しく、15年間で3倍以上に増えている。

生産性の低下を考える際、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代のフリーター数の増加は非常に憂慮すべき問題を抱えている。というのも、企業寿命が低下している社会では、雇用者の平均年齢が若い。このため、25〜34歳という年齢層は、企業の中心的な役割を担っており、まさにシュンペーターのいう「新結合」を生み出す世代である。

このように考えると、25〜34歳という年齢層にフリーターが相対的に多く、正規雇用されていない現在の状況は、わが国の稀少な(労働)資源を無駄にしているといってもよい。この世代を貴重な労働資源として育成することなしに、企業の技術開発は為し得ない。

短期的なコストにとらわれて、長期的な利潤を損なうことないよう、企業、政府は一丸となって雇用対策をしていくべきである。生産効率の改善、新規製品開発に貢献させなければ、今後ますます日本の国際競争力は低下していくであろう。

4.日本企業の成長戦略−アジアの「老い」への対応

日本が国際競争力を維持し続けるためには、具体的にどの産業において雇用の吸収が見込めるだろうか。図2には製造業、非製造業それぞれにおける短期的、中期的雇用吸収力が推計されている。製造業についてみると、精密機械、一般機械、化学、石油・石炭製品、輸送用機械の製造は、現時点における短期的雇用吸収力は小さいと考えられものの、製造業すべての分野における中期的雇用吸収力は、今後増加する可能性があるという結果となった。また、非製造業ではサービス業を除くすべての分野の中期的雇用吸収力が増加する結果となっている。

この結果は前節での考察と整合的である。つまり、フリーター数の増加は、彼らの主たる収入源であるサービス業における超過供給を引き起こしている。しかしながら、正規雇用ではないため、比較的低廉な賃金率での雇用が可能となっており、労働市場メカニズムが十分に機能していない。したがって、もし企業に正規雇用枠をするようなインセンティブが働けば、セービス業における賃金率が上昇し、サービス業から他業種への労働移動が促されることになるだろう。すでに中期的には他業種の雇用吸収力はあることがわかっており、余剰労働をいかに移転させるか、つまりは資源配分を効率的に行うかが、わが国の成長にとって重要な政策であるといえる。

企業における正規雇用枠拡大という政策目標については、企業の操業コストを上昇させることになるため、総論で賛成しても、各論で反対されることが予想される。もちろん、この政策目標が実施されるためには経済主体各々への(意識改革を含めた)具体的な施策が重要である。以下、企業を対象に提言を行いたい。

企業は今後の日本経済についての動向に対応すべく、以下の三つの指針を念頭において行動すべきである。第一点は、グローバリゼーションがもたらす変化に対して迅速に対応する、ということである。国際市場でイニシアティブをとるためには、短期的なコストとベネフィットだけではなく、長期的な視点で判断することも重要である。中国をはじめとする新興市場の労働需要が、今後増加することが予測される一方で、少子高齢化がアジア全体で広がっている。それまで頼りにしていた低廉労働の供給国だったアジア諸国の「老い」が始まっている[13]。生産に投入される労働を海外に依存することが今後難しくなる事態も懸念されており、EPAなどによってより熟練労働が国内労働市場に流れ込む可能性もある。労働が希少性を持つ時代の到来である。

グローバル化した経済で、わが国企業が比較優位を持つためには先端技術に活路を見出す以外に道はない。そのために、第二点として、企業家と雇用者のあり方をもう一度考え直すことが重要である。雇用者が就業に専心できる「生活」の保障をしなければわが国の技術に未来はない。そのために、正規雇用を積極的に行うことが、長期的利潤を生み出す源泉であるということを再確認すべきである。

確かに、R&D費用、研修費用は、企業にとって最大の支出である。にもかかわらず、離職率は年々高くなっている。こうした事態を回避するためには、新しい企業教育(研修)も必要である。それは、「フォローシップ教育」―組織の一員として何をするべきか、自分の役割は何なのか、を教えること―である。これが第三点である。

もちろん、企業だけに問題があるのではない。企業、政府、雇用者が三位一体となって行動する必要がある。そうすることによってのみ、国際競争力をもった企業が孵化できる。

5.結語―企業戦略としての古為今用:生かされるべき先人の教訓

『河童は川で死ぬ』という言葉がある。先に引用した古河市兵衛が、刎頚の友、渋沢栄一に残した言葉である[14]。ここには企業家市兵衛の職業に対する「専心」の思想がよみとれる。生産活動は生活そのものであるという思想である。現在、雇用者の中に、自らの職業に専心できる環境を与えられた人間はどれだけいるだろうか。

仕事とプライベートを分けて考える時代になって久しい。1970年代に比べ、現在の就労時間は7割程度である[15]。仕事とプライベートの境界線は重要であるが、境界線が曖昧だった時代に我々は高度経済成長を実現してきた。

高橋(1977)は「人生においてもっとも貴重であり、幸福であることは、自己の全生命を捧げうる仕事を持ち、これに全力を傾倒しうる職場に就くことである。」と述べている[16]。企業にとって、雇用者が「専心」して職務に邁進できるような環境を構築することが日本経済の閉塞的状況を打破する第一歩である。

技術は、人間の叡智の蓄積と不断の努力によってのみ得られるものである。そのためにこそ、企業家と雇用者の関係を再考しなければならない時期に来ている。古為今用―先人から学ぶべき教訓は多い。

脚注

参考文献一覧

  • Aghion, P. and Howitt, P.(1998)Endogenous Growth Theory, The MIT Press.
  • Barro, J. R. and Sala-i-Martin, X.(1995)Economic Growth, McGraw-Hill International Editions.
  • Abegglen, J. C.(1958)The Japanese Factory: Aspects of Its Social Organization, The Free Press.(邦訳)占部都美(1958)『日本の経営』ダイヤモンド社.
  • Schumpeter, J. A.(1926)Theorie Der Wiltschaftlichen Entwicklung, 2. (邦訳) 塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一(1977)『経済発展の理論(上)(下)』岩波書店.
  • 蟻川靖浩・宮島英昭(2006)「M&Aの経済分析:M&Aはなぜ増加したのか」RIETI Discussion Paper Series, 06-J-034., 独立行政法人経済産業研究所.
  • 五日會(1926)『古河市兵衛翁傳』, 富士印刷株式會社.(復刻)『古河市兵衛翁』, ゆまに書房, 1998年.
  • 大泉啓一郎(2007)『老いてゆくアジア』中公新書, 中央公論新社.
  • 加藤岳彦(2004)「『会社の寿命30年』説を検証」『NEEDSで読み解く―経済の「今」にデータで迫る』, 日本経済新聞社, Nikkei Net, URL: http://www.nikkei.co.jp/needs/analysis/04/a040922.html, 2008年8月24日アクセス.
  • 経済産業省経済産業政策局調査統計部(2001)『産業活動分析』, 経済産業省.
  • 経済同友会(2008)『新・日本流経営の創造』, 社団法人経済同友会.
  • 笹尾慶蔵(2005)「良い会社とは」, 『企業会計』, 3月号, 中央経済社.
  • 高橋亀吉(1977)『高橋経済理論形成の60年―日本経済激動の時代と私の人生(上)(下)』, 投資経済社.
  • 内閣府(1995)『平成7年度年次経済財政報告』国立印刷局.
  • 新原浩朗(2003)『日本の優秀企業研究』,日本経済新聞社.
  • 日経ビジネス(1983)「企業の繁栄は、たかだか30年−花火のように消えた、おびただしい企業群」,『日経ビジネス』, 9月19日号, 日経BP社, pp.42-43.
  • ―(1999)「今や“寿命”はわずか5年−環境激変、加速する適者生存競争」,『日経ビジネス』, 10月4日号, 日経BP社,pp.28-31.・日本経済団体連合会(2007)『希望の国、日本』, 社団法人日本経済団体連合会.