民族自決権の濫用は悲惨な結果をもたらす――ジョセフ・S・ナイ ハーバード大学教授(1) - 09/03/10 | 17:20

民族の自決権は基本的な道徳的原則のように思える。しかし、それは多くの問題をはらんでいる。2008年にグルジアに侵攻した後、ロシアはグルジアから分離した南オセチアとアブハジアの2州の独立を承認した。他国が批判したとき、ロシアはNATO諸国もコソボのセルビアからの独立を支援するために軍事力を使ったではないかと反論した。
民族自決権は人々が自分たちの国を建国する権利と定義されている。重要な原則だが、ではいったい誰が自決するのかという問題がある。
1960年代のソマリアの例を考えてみよう。アフリカの人々は植民地支配を終わらせるために民族自決権の原則を主張した。他のアフリカの国とは違い、ソマリアは同一言語、同一民族という背景を持っていた。対照的にケニアは植民地支配によって数十の異なった民族が一つにまとめられ、言語も習慣も異なっていた。ケニアの北部にソマリア人も暮らしていた。
ソマリアは民族自決の原則に基づき、ケニアの北部とエチオピアの南部に住むソマリア人が離脱し独立することを認めるべきだと主張した。ケニアとエチオピアは、その要求を拒否した。その結果、ソマリアの民族主義をめぐってアフリカ北部で戦争が始まった。皮肉なことに、その後、ソマリアは部族と軍指導部との間で内戦が勃発し、分裂してしまった。
投票で民族自決の問題がつねに解決できるわけではない。どの場所で投票するのかという問題もある。北アイルランドの場合、カトリック系の住民は北アイルランドで投票すれば、地域で多数派のプロテスタント系の住民が北アイルランドを支配することになると反対した。これに対してプロテスタント系の住民は、島の全部の地域で行えば多数派のカトリック系の住民が同地域を支配することになると反論した。
最終的に数十年にわたる紛争を経て部外者の仲裁で問題は解決した。だからといって、いつ投票するかという問題まで解決したわけではない。60年代にソマリアはすぐに投票を行おうとした。しかし、ケニアは選挙を40年から50年後に行い、その間に部族にケニア国民の意識を植え付けようとした。
非常にあいまいな民族自決権の概念
第2次世界大戦の戦勝国は民族自決の原則を主張した。しかし1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体された後、住民がドイツ語を話すにもかかわらずズデーテン地方はチェコスロバキアに統合された。38年に締結されたミュンヘン協定の後、ズデーテン地方のドイツ系住民はチェコを離脱してドイツに加わった。それは山岳地帯がドイツの支配下に入ることを意味し、チェコの防衛上、大きな損失となった。
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